top of page

「いなや、帰らじ」
-平能宗(たいらのよしむね)-


宗盛の次男。副将、と呼んだほうが皆様にはなじみが深いでしょうか。8歳の折に壇ノ浦で生け捕られ、その二月後には首を斬られます。 
 
元暦二年五月六日。宗盛父子は関東に下されることが決まりました。それを聞いた宗盛は、義経のもとへと使いを立てます。
「明日関東へ下向の由は承りました。それについて、壇ノ浦の生け捕りの中に8歳の童と記されている者が、まだ生き長らえていると聞いております。今一度会うことはかなわないでしょうか」
義経はそれを聞き入れることにしました。
「誰にとっても恩愛の道ほど悲しいものはない。急ぎ大臣(宗盛)殿のもとへ届け参らせよ」
義経の特別の計らいで、宗盛は副将と会うことを許されます。

副将はしばらく会えなかった父に会えて非常に懐かしげに見えました。
「さあ、副将。ここへ参れ」
宗盛の言葉に副将は急いで駆け寄り、膝の上に座ります。
宗盛は副将の髪を撫でつつ、涙をはらはらと流します。
「この子は母は産後すぐに亡くなりましてな…。『この後いかなる人の腹に公達を儲けられたとしても、この子のことは決して忘れず、私の形見としてご覧下さい。決して乳母のもとへさし放たれたりなさらないで…。』という言の葉の不憫さ。朝敵を平らげた時にはあの右衛門督には大将軍をさせ、これには副将軍をさせようと「副将」と名づけたところ、なのめならず嬉しげで今を限りの時までも名を読んで可愛がっていたのです。この子を見るたびごとにそのことが思い出されてならぬのです」
これを聞いた守護の武士はみな袖を濡らします。同席の右衛門督も、乳母も顔をあげることができません。

久しぶりに会えた息子をいつまでも膝に抱いていたいと思っても、宗盛はもはや罪人の身。副将を側にとどめおく事はできません。


「さあ、副将。今日はもう帰れ」


愛しさを断ち切るように告げるのですが、副将は帰ろうとしません。
これを見た兄の右衛門督は幼い弟があまりにかわいそうに感じられ、なんとかなだめようとします。

 

「副将、今宵はもう帰れ。父上にはすぐに客人が来られるのだぞ。また明日の朝、早く参れ」


しかし副将だってせっかく会えた父とは少しでも一緒にいたいのです。


「いやだ、帰らない!」


と宗盛の浄衣の袖にひしと取り付き離れません。
しかし、いつまでもそうしているわけにはいかないので、とうとう乳母が抱き取って車に乗せてしまいました。


後姿を見送る宗盛の胸中は推し量られて憐れです。
「ああ、日ごろの恋しさは、今日のこの別れに比べれば物の数ではない…」


副将はその母の遺言の無残さにずっと宗盛の手元において育ててられてきました。
3歳で初冠して、能宗と名乗るようになったのですが、年をおうごとに見目姿は世に優れ、心ざまも優であったので、宗盛も非常に副将を可愛がっていました。そのため、西海の波の上、船の中までも連れてゆき、片時も離れることは無かったのです。

その翌日。副将の身柄を預かっていた重房と義経の間では、副将の運命について短いやり取りがなされました。
「鎌倉へ連れて行くまでも無い。ここでどのようにでも処理いたせ」
これが義経の答えでした。

重房は宿所に戻って、副将の女房に告げます。
「明日、宗盛様は鎌倉へ下向されますが、副将殿は都へお残りになられます。私は宗盛様のお供をしますので、若君は他所へお連れいたしましょう。さあ、はやくお車へ」
車を用意された副将は、父に会いに行けるのだ、と大喜びです。
「また今日も、父上に会えるの?」
車は六条を東へ河原まで進んでいきます。
「…? 道が違う…!」

副将と1つ車に乗っていた女房が気づいたときには、もう遅すぎました。
5,60人の兵が河原へ打ち出で、車を止めさせます。
「さあ、若君。お降り下さい」
「いったい、どこへ連れて行くの?」
途方にくれた副将を見て、同行の女房も返事をすることができません。

 

後ろに回り、首を取ろうとした郎党に気が付いた副将は、乳母の懐へ逃げ込んでしまいます。
女房も副将を抱いて、「ただ、私たちの命をおとり下さい」と泣き悲しむばかりです。
しかし、いつまでもそうしていることはできません。
「今となってはどう御望みになってもかなわぬことです。さあ!」
乳母の懐より引き出された副将は、ついにその首を斬られてしまいます。

その首は義経に見せるために宿所へ送られました。副将の二人の女房も、徒跣でそれについて行きました。
「もうなんの差し支えも無いと思います。若君の首だけでも下さいませ。後世をとぶらい申し上げたいのです…!」


義経も情けを知る武士でした。


「そう思うのも道理だ。さあ、持っていくが良い」
二人の女房は非常に喜び、それを懐に入れて泣きながらも京都のほうへ帰るように見えました。

しかし、その後5,6日して、桂川に二人の女房が身を投げました。
一人は副将の首を懐に入れた乳母の女房です。
もう一人、躯を抱いて沈んだのは付き添いの女房でした。
乳母はまだしも、付き添いの女房まで死を決意したのは感銘深いことであると平家物語には語られています。

 

​お問い合わせ・ご意見
  • Facebook
  • Twitter
  • YouTube
  • Pinterest
  • Tumblr Social Icon
  • Instagram
©2019 花のかんばせ 無断転載禁止

Success! Message received.

bottom of page