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-平有盛(たいらのありもり)-


平家の嫡孫、重盛の四男。左近衛少将。壇ノ浦の合戦では、兄資盛と従兄弟の行盛とともに、手に手を取り組み、碇を背負って海に飛び込んだといいます。有盛に関する詳しい話はほとんど伝わっていないのが非常に残念ですが、兄資盛、清経の年齢から考えますに、合戦当時、二十代前半くらいで没したのではないでしょうか。

有盛は平家物語には、ほんの数行名をとどめているに過ぎません。しかし南海・奄美の島には、有盛はじめ資盛、行盛の伝説が伝わっています。

 

壇ノ浦の合戦に破れた平家は南下し、ついには奄美大島までたどり着きました。資盛・行盛・有盛は全島を三分し、資盛は諸鈍に居城を構えて全軍を指揮したと「奄美大島平家没落由来書」には記されています。今でも諸鈍には資盛の墓や、資盛を祀った大屯神社、戸口には行盛神社、そして浦上には有盛神社があるということです。
 

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