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隠蓑
北九州市小倉南区で、「安徳天皇御陵」という案内板を見つけました。
地元の方にお話を聞きながらその場所を訪ねると、薬師寺(隠徳庵)にたどり着きました。
ここは、隠蓑という平家にちなんだ地名でもあります。
壇ノ浦で敗れた平家一門は「安徳帝は入水した」と偽り、門司の田ノ浦から上陸し、松ヶ枝を越え、長野城主のもとに隠れていました。しかし、城主が亡くなると、城を出ていくこととなります。
横代を通り隠蓑の里まで来たとき、源氏の追ってが迫ってきていました。
その際村人は、安徳天皇の身の上に同情し、あり合わせの葦や藁などの蓑をもって天皇を隠したてまつりました。それにより、天皇一行は難を逃れることができたといわれています。


毎年12月15日には、安徳帝を偲ぶ祭りと、その年の収穫を感謝する祭りが合わせて行われ、子供たちがお互いに藁をかぶせあいます。
その際、握りこぶし大の安徳帝の御姿や、御靴型を納めた藁すぼを御供えし、祭が終わると氏子達がそれぞれ持ち帰るのだそうです。
春には先帝祭というおこもりも行われており、安徳帝との縁の深さがうかがえます。
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