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-平師盛(たいらのもろもり)-
平家の嫡孫、重盛の五男。備中守。師盛は一の谷の合戦でわずか十四歳という若さで討たれています。
須磨の浜での激戦も平家の負け戦が決定的になり、あまたの一門の公達は船へと逃れようとしていました。師盛は主従七人で小船に乗り、今にも沖へ漕ぎ出そうかというところでした。すると、ちょうどそこへ知盛の侍、清衛門公長が馬に乗って馳せてきました。
「あれはいかに、備中守殿の御船と見参らせて候。われも参り候はん」
師盛らは船を渚ちかくまで寄せました。公長は鎧を身に付けた格好で、馬より船へ勢いよく飛び乗ります。バランスを崩した小さな船はくるりと回転してしまいました。師盛は海へ投げ出され、浮き沈みしていると、これを見つけた畠山の郎党、本田次郎親経らが十四,五騎で馳せてきました。彼らは急ぎ馬から飛び降りると、師盛を熊手にかけて引き上げ、とうとう首をとってしまいました。
一の谷で討たれた一門の御首は二月十二日には都へ入り、大路を渡され、獄門にかけられました。久しく朝家につかえた身分ある人々がこのような扱いを受けるのは先例のないことでした。このはかない若武者の墓は兵庫の石水寺にひっそりとたたずんでいるということです。
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