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「清盛の経済活動」

清盛は安芸の守であった頃から、財力を強大なものにしつつあった。清盛は何年かを安芸の国で過ごしているが、任国にあって清盛の興味をかき立てたのは製塩業であった。それまでの手間のかかるやり方ではなく、もっと効率のよい中国渡来の方法を積極的に押し広め、作った塩を日本中で売りさばいた。


また、旱魃や大雨といった天変地異を恨んでも仕方が無い、これからは天候に左右されない作物を育てていくべきである。さらには、田畑がだめになっても困らぬよう、細工物なども出荷するように心がければ凶作の年をもしのぐことができよう、と説いていた。また、中国では金銀を非常に珍重するのを知ってそれらの輸出、鉄に関しては太刀・長刀等の輸出も行っていた。


こうした考えは西国の商人や豪族から影響を受けたものであった。また清盛は、大量に物資を動かすためには、今のような物々交換ではなく共通した通貨「銭」が必要だと考えていた。こうした清盛の経済感覚からすれば、海に面していない都は都ではなかった。清盛は、もっと自由で新しい都市を作り出そうとしていた。その期待が、福原への遷都を実行させたのだと思われる。


 

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