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-平家盛(たいらのいえもり)-


忠盛の次男。母は池の禅尼。清盛とは異母兄弟で、頼盛の同母兄にあたります。清盛との年の差は、十ばかりでしょうか。
 
家盛は長承三年、7歳という若さで蔵人となります。永治二年には左兵衛佐となりますが、7月に行幸の供奉を怠ったとして謹慎を受けます。しかし翌年には従五位上、常陸介も兼務し、順調に官位を進めました。兄清盛がいよいよ力を養い、一族の大黒柱となって力を蓄えてきた頃のことです。父忠盛も、清盛をはじめとした自慢の息子達に大いに期待を掛けていたことでしょう。

…しかし久安五年。家盛は、鳥羽院の熊野参詣に供奉した帰り、宇治川で死去してしまいます。おそらくは、病死でしょう。このとき、家盛はまだ19歳という若さです。家盛の乳母子の頼綱はその場で出家し、菩提を弔ったと伝えられています。


父、忠盛は若くして亡くなった息子を悼み、家盛の遺品を東大寺に納めています。
 

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