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「厳島神社御改修」

安芸の水軍とは、父忠盛の代からよしみを通じていた。清盛は大きな図面を広げ、厳島神社の大々的な改修を計画していた。水軍の代表者たちに説明するその構想に、彼らは皆感激して涙を流したという。
本殿、拝殿、舞殿、回廊もみな高い柱によって支えられ、水面上に浮いている。祭神は、女神で、海の神であらせられるゆえ、鎮座ましますところは海上でなければ御心も休まりますまい」
こうして、目のさめるような朱に塗られた荘厳な本殿が完成した。中でも人々を驚嘆させたのは、海中にそびえる大鳥居であった。これはすなわち、海神が海からやってくることを示していた。
水軍の中での清盛の人気は絶大なものがあった。清盛は、厳島滞在中に水軍の長老たちと、何度もひざを突き合わせて会談を行った。清盛は海外との通商を積極的にすすめた。水軍は、物資の流通をになうことによって、わが国の経済を支配しうる、と説いたのである。彼らはその初めての発想におおいに心を動かされた。清盛はいよいよ日本中の水軍・水産業者の信頼を集めていったのである。

 

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