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「福原遷都」

清盛は和田泊を中心として、大々的な日宋貿易を行うつもりであった。それゆえ、先立って港の改築を行った。大型船が何隻も碇泊できるように周辺を調査し、標識灯台を設け船員の宿泊施設や、商取引の事務所を整備し、わが国最高の港の完成をみた。弟の経盛を商務司とし、宗盛をそえた。清盛の考えていた政策は、商業を盛んにすることで、もはや飢饉などにおびえなくとも済むような力を国全体にひろめようというものだった。


清盛は福原建都プロジェクトチームを作り、さっそく整地を行った。一つ、清盛に不満だったことは、選んだ場所が意外と狭く、道路が九条なければならないところを、五条までしか作れないことだった。清盛は、京の都よりゆったりした都を望んでいたのだが、計画を変更せざるを得なくなった。しかし、町割りが決まるとすぐに都作りがはじまった。すでに、港の改修が済んでいた為に、資材の運送や、定期船の運航はスムーズに行われた。清盛の長年の夢は、ようやく叶おうとしていた。

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