
「紫宸殿の鬼退治」
長承元年、清盛が十四歳の時のこと。
この年は異常に雨が多く、長雨によって公卿たちの荘園は壊滅状態となっていた。
連日のように天気回復の祈祷がなされ、公卿達は祈祷後の宴会で、殿上のあちこちで打ち倒れて眠っているような有様であった。
まだ夜明けまでずいぶんあろうという頃・・・権大納言藤原実行が目を覚ました。ふと、黒い影が前を横切ったような気がして目をこすった。気のせいであろう。しかし黒い影は実行の方へ近寄ってきた。実行はたまらず悲鳴をあげた。実行はその日から頭も上がらぬ病の床に臥した。高熱の中、うわごとを繰り返すばかりであった。すぐさま高僧による祈祷が行われ、正気を取り戻した実行の口から語られる話に公卿達は震え上がった。
それから半月。今度は不寝番についていた武士が大極殿の屋根に異形のものがうずくまっているのを見た。その武士は、弓に矢をつがえてはなった。しかし、どうしたことか弓は空中で向きを変え、射手の袖に突き刺さった。それから、その武士は高熱を発し起き上がれなくなってしまった。
それから一月もたたぬうちに朱雀門が落雷により炎上。中納言源顕雅が舞楽殿でもののけに会い失神。参議藤原成道が鬼を見て卒中。左大臣藤原家忠が紫宸殿で白昼鬼に会うという、由々しき事態となった。
公卿らは、清盛に悪鬼の調伏を命じた。彼らにとっては小憎らしい忠盛を失脚させるまたとない機会に思われた。いくらなんでも14歳の小童に御所の悪鬼を退治できるわけが無かった。失敗すれば忠盛の仙籍を削り、殿上から追い出してやろう。まあ、万に一つもあるまいが、成功すればそれはそれでわれわれも安心して御所務めができるというものじゃ。
仰せを受けた清盛はさすがに仰天した。父は任国に赴いており、相談する時間も与えられなかった。清盛はその日、平家の重宝である名刀「小烏丸」をおびた。白地に紺で村濃に染め、白と紫の菊とじにした直垂に身を包み、紫宸殿の中央で静かに待った。夜もふけ、すべてが静寂に包まれてどのくらいたった頃だろうか・・・。ふと顔をあげた清盛に目に何かが映った。清盛は双眼を見開いた。衣冠束帯を身にまとった人物が清盛にの方へ向かってくるのが見えた。清盛は一瞬、男の術中にはまりそうになってしまった。しかし、その時、清盛の帯びていた小烏丸は床に触れて澄んだ音を立てた。
「鬼かもののけか知らぬが、この清涼殿に現れては帝の御心を悩ませたてまつるとは不埒千番。われこそは、平家が棟梁なる忠盛が息子にて平太清盛なるぞ。汝、疾く退散するがよし。さもなくばたちどころに地獄の底まで追い落としてくれよう」
我に返った清盛は大音声でのたまった。もののけはどす黒い顔を憤怒でみなぎらせた。
「われは花山天皇なるぞ」
清盛は冷ややかに笑った。
「われは武家にて花山天皇の何者なるかを知らず。また、汝が花山天皇の亡霊であったとしても何ゆえ御所の内を徘徊し罪無い公家衆にあだをなすのか。たとえ亡霊とは申せ、それが天皇の霊のなすわざか。天皇呼ばわりは片腹痛し」
「おのれ、地下人の分際でその口舌よ」
お前なんぞ知らないと十四の少年に言われた花山天皇の亡霊は怒り狂い、清盛に襲い掛かってきた。清盛と亡霊は正面から衝突した。
「花山天皇とはよくほざいたものよ。わが小烏丸のえじきにしてくれよう」
清盛は腰の小烏丸を抜き放ち跳躍した。花山天皇の亡霊はうめきつつ奥へ逃れようとした。清盛は亡霊を清涼殿の東の端まで追い詰めた。亡霊はたまらず小部屋までにげこんだ。清盛も続いて飛び込んだが、中には何者の姿もなかった。その部屋の奥へと進むと、清盛の目の高さに一串の御幣が張られているのが目に入った。清盛はためらいもなく小烏丸で一気にその御幣を貫いた。すさまじい家鳴振動がおこった。清盛が、二度、三度御幣を突き刺すと御幣は二つにちぎれて床に落ちた。やがて、清涼殿は元のような静寂に包まれた。もののけ退治は成功に終わった。思いもかけない結果に公卿達は呆然と顔を見合わせるばかりであったという。