
川柳
川柳には平家物語の多くの人物が題材にされていることをご存知でしょうか。
川柳の世界ではどんな美男美女も、勇猛な武将も、時には天皇でさえも独特の調子でからかわれてしまいます。
あけすけで、ちょっと乱暴で、卑猥なものもあります。
しかしそれも悪態ばかりをつくのではなく、彼らに親しみを持って詠われているようにも感じられます。
以下に平家関連の川柳のほんの一部をご紹介します。
「こんな笠よせと忠盛しかりつけ」
忠盛が白河院の供をして、鬼と見えた老法師を捕らえたときの句です。
「院の子院の子と忠盛は抱き上げる」
昔、子供を寝かしつけるときには「犬(いん)の子犬の子」と唱える習慣があったそうです。
清盛が白河法皇の落胤であることを揶揄しています。
「清盛もその日に夜食二度喰はれ」
清盛が扇を開いて夕日を招き返したときのものです。
「宮島の大工おやまた日が出たぜ」
嵯峨の奥に隠れ住んだ白拍子たちのものもあります。
「移り気な坊主と嵯峨で悪くいい」
「嵯峨の奥三本不要な舞扇」
「汐風にもまれぬうちに小松枯れ」
清盛の嫡男重盛は、世に「小松殿」と呼ばれていました。
まだ平家の勢いがあった頃に亡くなった重盛は、その後の戦を知る由もありません。
「みやこを移すわがままなおぢぢさま」
清盛は孫である安徳天皇を擁し、都を福原へ移します。
「敦盛も討たるるころは声変わり」
16歳にして討たれた敦盛。その呼び名は「無官大夫」。
「平大夫さても不吉ななのり也」
無官は無冠(首がないということ)につながるため、不吉な名だと言うのでしょう。
「世にあらば桜忠度とぞ召され」
桜の歌で有名な忠度は、生き長らえていれば「桜忠度」とも呼ばれていたでしょう。
「腕のあるうちに桜の歌を書き」
忠度はまず腕を切られ、その後に首をとられます。
「お歯黒にしろと景清船に投げ」
屋島の合戦で景清が源氏の武将の兜の「しころ」を引きちぎったところです。
お歯黒の液は鉄片を酢や茶汁につけて作ります。
「教経の入水あぶくが三つ出る」
壇ノ浦で挑みかかってきた安芸太郎、次郎を両脇にかいばさみ、もろともに入水した教経。
「壇ノ浦磯に太刀魚かぶと貝」
合戦の後には沢山の太刀や兜が磯に流れ着いたことでしょう。
どこか笑いを誘うようで、それでいてなんとなく寂しくなってしまうのは平家が滅びたという事実があるからなのでしょうか。