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六波羅蜜寺
六波羅は平家の拠点ともいえる地でした。
そのため、清盛は「六波羅殿」とも呼ばれておりました。
平家全盛の時代には、六波羅二十余町の間に一族郎党の住居が5千2百余もあったと言われます。
清盛の屋敷はこの寺の西方にあったようですね。
この六波羅蜜寺には、教科書などでもよく目にする「平清盛像」があります。
清盛像は経巻を手にした僧形をしていますが、その穏やかなたたずまいの中にも眼光は鋭く、「猛き者」清盛の風貌をよく表しているのではないかと感じられます。
写真は六波羅蜜寺境内の「平清盛塚」です。
清盛の祖父・正盛が六波羅に拠点を築いて以降、今なお平家と六波羅の地は強い縁で結ばれています。

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