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「われは女なりとも、かたきの手にはかかるまじ」
-平時子 / 二位の尼(たいらのときこ・にいのあま)-


正五位時信の娘。時信は高棟親王から十代目を称する堂上平家です。
清盛の最初の妻である高階基章の女の死後、清盛の正妻として迎えられます。時子の父時信は、忠盛からの縁談の申し出に、その手を取って感激したと言われています。


時子は嫁入った日の翌日から、屋敷中を歩き回り、一家の主婦の役目を果たしていたのだとか。
たとえ中流貴族とはいえ、摂関家にゆかりの無いものとしては、できるだけ使用人を少なくし、質素につつましく暮らすというのが家政の要諦でありました。ですから、時子は飯も炊けば魚も焼き、針を手に衣のほころびを繕うこともできました。
 
清盛との間には宗盛、知盛、重衡、徳子(建礼門院)をもうけていますが、なさぬ仲の重盛、基盛もよくかわいがったため、実母のようになついていました。重盛が長じて後は、我が子以上に、また主人清盛に対する以上に良く仕え、次代平家の棟梁に大きな期待をかけていたようです。重盛の死後、宗家、つまり宗盛に家督がまわってきた、と喜んだという記述も見えますが、おそらくこれは当たっていないのではないかと思います。


郎党たちは、清盛に対する以上に時子に対して忠実でありました。嫁いだその日から彼らに散々世話を焼かされた時子も、郎党を息子のように大切に思っていました。彼女は清盛と並び、平家一門に欠かせない「かなめ」であったのです


清盛を支えつづけた影の力である時子は、非常に聡明であり、また、母性愛にあふれた女性であったといわれています。

 

徳子(建礼門院)のお産の際に、清盛と二人手を取り合って「この難産はどうしたことでしょう、どうしましょう?」とうろたえるなど、なんとなくほほえましい母の姿もかいま見せてくれています。

 

また、後白河法皇より3種の神器と重衡の命との交換を申し入れられたときも、涙ながらに宗盛に「重衡を助けてたもれ」と嘆願しています。

清盛とは深い信頼関係にあった時子(二位殿)ですが、清盛が病を得たとき、彼女が見た夢は非常に恐ろしいものでした。
猛火がお

びただしく燃えさかる主も無い車を、門の中に入れようとする者があるので、二位殿は不思議に思います。車の前後に立っている者を良く見れば、あるものは牛の頭、あるものは馬の頭をしていました。そして、車の前にはただ、『無』とだけ書いた黒がねの札が打ってあります。
二位殿は夢心地で尋ねます。
「これは何処から来て、何処へ行くのです」
「平家太政入道殿の悪行が過ぎたので閻魔王宮より迎えに来たのだ」
異形の者は恐ろしげに答えます。
「では、あの札は?」
「金銅十六丈の盧遮那仏を焼き滅ぼした罪によって、無間地獄の底に落とすべき由を閻魔庁で定めたが、無間の無を書いてまだ間の字は書かないのだ」
 
ここまで聞いて二位殿ははっと目覚めます。体は汗でびっしょりとぬれていました。
せめて「間」の字が書かれる事の無いようにと、霊験あらたかな寺社に金銀七宝、馬、牛、鎧などあらゆるものを捧げて祈りましたが、日増しに望みは薄くなります。
そして、時子はとうとう清盛に最後の遺言を促すのでした。   

清盛没後、一門を預かった二位殿は安徳帝を擁し、最後まで一門と運命をともにします。
 
壇ノ浦合戦前には、建礼門院に一門の菩提を弔うように指示していました。既にこのとき、戦は今日が限りと覚悟を決めておられたのです。
 
いよいよ最後のときも敵の手にかかるのをいさぎよしとせず、宝剣をおび、先帝を抱いて入水。

 

「わが身は女であっても、敵の手にはかかりません。神器を携え、君のお供をいたします。 君に忠誠を誓おうという方々は急ぎ続いて下さるよう…!」
 

「尼ぜ、私を何処へ連れて行く?」
 

まだいとけない孫の安徳帝に二位殿は涙をはらはらと流し、語りかけます。
 

「君は悪しき運に引かれ、ご運が尽き果てました。まず、東の伊勢神宮においとま申し上げ、西方浄土へ念仏をお唱え下さい。」
 

安徳帝は涙にぬれながらも素直に手を合わせます。
「この国は心憂き国でございます。極楽浄土というところにお連れいたしましょう。」
そういって抱き上げるや、船べりから波間に身を躍らせます。

 

「波の下にも都の候ふぞ!」
 
ほんの一瞬の出来事でした。
 
一門の隆盛から、繁栄、滅亡まで、すべてをみつめてきた二位殿。
一門とともに西海をさまよう間、言い知れない苦しみも多くあったのではないでしょうか。


「相国殿が生きていてくだされば」そんな思いにとらわれた事もきっとあるでしょう。責任感の強い女性であればこそ、平家の運命を誰よりも案じていたのだと思います。


そんな二位殿をつき動かし、彼女にこの時代を生きる力を与えていたのはやはり一門への愛だったのではないでしょうか。それは、とりもなおさず清盛への愛情でもあり、彼が築いた平家の名を汚すことだけは、避けたかったに違いありません。
 

 

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