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「滅びの美」

 

今でこそ私たちは、平家一門の滅亡をさして「滅びの美」と申しますが、それは800余年もの歳月をへて「物語」として平家に触れているからこその「滅びの美」なのではないかと思います。

 

たしかに、それは的を射た言葉なのかもしれません。滅亡にあたっての一門は身内で裏切りあうこともなく、遅早の差はあれどそろってゴールとしての「死」をむかえているのですから。

そして、いまわの際の人々はことさら美しく、哀艶に語られていることを思いますに、やはり「滅びの美」という形容がふさわしいようにも思われます。


ただ、私が思うのは、当時その状況におかれた人々にとってはあくまでも肉親や、仲間、または自分自身の紛れもない「死」であったわけですから、とうてい「美」などというやさしい感情ではなかったと思うのです。

あるいはただれるような、または濃い憂色に満ちた心情であったかもしれません。

そしてそれは、何も平家一門に限ったことではないでしょう。源氏しかり、前線で戦った郎党しかり、時代の犠牲となった民衆しかり。

そういった人々の心情を、今、生きている私たちが、もっと慮っていくのは大切なことのように思われます。

 

たしかにこの国に実在し、今の私たちと同じように笑ったり、悲しんだりしながら、大変な時代を生きぬいた大切な方々なのですから。

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