
遺墨
書というものは、書く人の心がそのまま筆にあらわれるといわれるほど、書き手の個性がにじみ出るものです。
皆さまは「平家物語」に登場する人物の書をご覧になったことはおありでしょうか。
私が初めて清盛の書を見たとき・・・、とてもその文字が端正であり、また美しいことに感嘆させられました。
もちろん私は書を専門的に学んだことなど無く、書に対する知識もないのですが、私のような素人が見ても憧れてしまうような筆跡なのです。
平家納経に見る清盛の書は均整の取れた美しい文字でありながら、どこか一種の鋭さが感じられます。
故柳田泰雲氏(前学習院院長)は平家納経における清盛の書について、以下のような評をしておられます。
「何れの書も、非常に熟練した運筆であり、恐らく幼少の頃から写経の練習が課せられたことによって、あの円熟に達したものと私には想像できる。動乱と変転極まりない一生にあって、あれだけ写経に打ち込んだことは、清盛がいかに強い信仰心を持った人かということが伺われて、深い感銘を禁じえない、清盛の人としての善悪を云々する前に、その書を見て、清盛の知恵と人間性の高さを認識すべきだと、私は思う。」と。
清盛の嫡男、重盛の書からは「世尊寺様(行成の流れだそうです)」を学んだあとがうかがわれるとのこと。
それは清盛とは対照的な、貴族風の柔らかさを含んでいるようにも感じられます。
温和な重盛の一面を表しているのでしょうか。
対する源氏の義経の書としては「腰越状」が非常に有名で目にする機会も多いのですが、流れるような美しさの中に、彼の苦悩が秘められているように感じました。幼い頃、都で育ち、書についての教養も身につけていた義経の文字もまた、優美さが感じられます。
女性の手によるものとしては、建礼門院の自筆の消息が残っています。
建礼門院は当時最高の書様を習ったらしいのですが・・・、その線のかぼそさ、弱弱しさが、そのまま建礼門院の人となりを表しているように思われました。
これと対照的なのは、頼朝の北の方、北条政子の書です。女性ながらに力強く、のびのびとした筆跡です。
「心正則筆正」、今に残された彼らの遺墨からも、心情をうかがい知ることができるのです。


