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「いかにも叶ふまじき道なれば」
-平宗実(たいらのむねざね)-



平家の嫡孫、重盛の末子。土佐守。宗実は三才から大炊御門の左大臣経宗の養子になっていたため、姓も平氏から藤原氏とかわり他人となっておりました。武芸の道は打ち捨てて、文筆だけをたしなみ、この年は十八才になっておいででした。鎌倉からの探索はなかったものの、経宗は世間に遠慮して宗実を追い出しました。


突然に追い出された宗実はどうしようもなく、大仏の聖俊乗房のもとを尋ねて申されました。
「わたくしは、小松内府の末子、土佐守宗実と申します。三才から大炊御門の左大臣経宗の養子となって平家とはまったくの他人となり、文筆だけをたしなんで、生年十八才になります。鎌倉殿から探索されるようなことはございませんが、世を恐れて追い出されました。聖の御坊、わたくしをお弟子になさってください」といって、その場で強引に髻を切って、自分から僧形になってしまいました。


「あなたも恐ろしくお思いならば、鎌倉へ申して、文字通り罪が深いならば、どこへでもおやりください」と言われたので、聖も気の毒なことに思って宗実を正式に出家させました。
 

その後、鎌倉へこのことを伝えると、「会ってから処置を決める」との言葉が返されたので聖もどうしようもなく鎌倉へ宗実を送るほかありませんでした。

 

宗実は奈良を出発して以来、飲食を絶ち、湯水さえ喉に入れようとされませんでした。
「どうしても生きることの叶わない道だから」
といって思い切られ、とうとう足柄を越えて関本というところで亡くなられたそうです。
なんとも痛々しい決意で迎えられた最期でした。
 

 

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