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従三位平重衡卿墓

清盛の五男、重衡。その姿は生前、牡丹の花にたとえられていました。

重衡の墓のあるこの地は、彼の妻である大納言佐局が平家没落後に身をよせていたと伝えられています。

 

重衡は鎌倉から奈良に引渡される途中、この地に立ち寄って大納言佐局と別れを惜しみました。
その後、木津河原において首をはねられた重衡の遺骸は、すぐさま引取られ、火葬後にこの地に埋葬されたといわれています。

こころならずも仏敵法敵とされた重衡。

墓前でそっと祈りを捧げていると、重衡の当時の思いというか、情景というか、そういったものが次々と溢れてきて、胸が痛みました。

しかし、数百年の時を経た今、その地には暖かい光が降り注いでいて、ほっとさせられました。
 

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