
「さては汝が為にはよい敵ぞ。名乗らずとも首を取って人に問へ。」
-平敦盛(たいらのあつもり)-
経盛の三男。従五位下に叙せられたものの、官位が無かったため、世に無官大夫と呼ばれました。寿永三年、一の谷の合戦で命を落としています。
敦盛の最期は平家物語の中でもことに哀切の響きを持って語られ、今も人々の心を捉えています。
平家は一の谷で義経の奇襲により、致命的なダメージを与えられます。
三千余騎の義経勢の鬨の声は、やま彦で十万余騎の声にも聞こえ、不意をつかれた平家勢は慌てふためきます。
屋形や仮家には火がかけられ、黒煙のに巻かれた平家の軍兵は、前方の海をめがけて駆け入ります。
そんな混乱の中、源氏の武将熊谷次郎直実は、助け舟に乗ろうとする平家の公達に組まばや、と海岸の方へ馬を進めていました。
すると、平家の武者がただ一騎、馬を海へうち入れ、味方の船を指して泳がせるのが目に入ったのでした。
萌葱色の鎧に、鍬形打ったる兜、こがねづくりの太刀を帯び、まことに天晴れな武者振りです。
「そこを行かれるは大将軍と御見受けいたした。卑怯にも敵に後ろをお見せになさるのか。かえさせたまえ。」
と扇を上げて招けば、その武者は潔く取って返し、立ち向かってきます。
直実は世に聞こえた強力、波打ち際に上がろうとするところに馬を並べてむずと組んで、そのまま馬からころげ落ち、その武士を組み伏せます。
そして、いざ首を取らん、と兜をはねのけてみれば、なんと言うことでしょう。相手はまだ十六、七の年頃で、その容貌は非常に美しく、ほんのりと薄化粧をし、歯を黒く染めています。直実はあまりのことに、どこに刀を立ててよいかもわかりません。
「一体あなたはなんという方でいらっしゃいますか。お名乗りください。お助け申そう。」
直実は情けを知る武士でもありました。
「お前は誰だ」
若武者は問い返します。
「名乗るほどの者ではございませんが、武蔵国の住人、熊谷次郎直実」
「それでは、お前に対しては名乗る必要もない。お前のためには自分はよい敵だぞ。自分が名乗らずとも、首を取って人に聞いてみれば、自分を見知っているだろう。」
直実の愛息小次郎は、この若武者とちょうど同じ歳の頃でした。
「ああ、立派な大将軍だ。この人をお助けしたからといって源氏が負けるというわけでもあるまい。我が子が薄手を負ったのでさえ、直実は辛く思っているのに、この方が打たれたと聞けばこの殿の父御はどれほど歎かれるだろう。ああ、お助け申し上げたい。」
しかし周りを見渡せば、渚には源氏の白旗が立ち並び、源氏の軍兵は満ち満ちてなんとしてもこの方を落とす術など無さそうに思われました。しかも、後方からは土肥、兼平も五十騎ばかりでやってきます。
「お助け申そうとは存じますが、味方の軍は雲霞のごとく満ち、決してお逃げにはなれないでしょう。他の者の手にかけるならば、直実が手にかけ、後のご供養をいたしましょう。」
直実は涙を押さえて申し上げますと、
「ただ、早く早く首を取れ」
と、健気にも言い放たれます。直実はあまりにかわいそうで、目もくれ、心も消え果てて、前後不覚に思われつつも、泣く泣く首を切り落とします。
「ああ、弓矢を取る身ほど情けないものはない。武家の家に生まれなければ、こんなむごい仕打ちをしなくてもすんだものを。ああ、情けなくもこの手でお討ちしてしまったものだ・・・。」
直実はくどくどと呟きつつ、袖を濡らします。しかし、そうしてばかりもいられないので、若武者の袖を取って首を包もうとしたところが、錦の袋に入れた笛を腰にさしているのが目に入りました。
「ああ、なんてかわいそうなことだ。今日の明け方に城内から聞こえてきた管弦の音は、この方々でいらしたのか。いま、味方の東国の兵は何万騎もいるだろう。しかし、戦陣に笛を携えている者はよもやあるまい。平家の公達はやはり優雅な方々だ。」
義経が首実検するところに、直実はこのことを涙ながらに訴えます。これを目にした人で、涙を流さないものはありませんでした。
後になって、直実が人に問うたところ、その若武者こそ修理大夫経盛の子息で生年十七歳になられる大夫敦盛であることが分かりました。件の笛は、祖父忠盛が笛の名手であったために、鳥羽上皇から拝領した名器でありました。経盛が相伝していたこの笛は、笛の名手である敦盛に下されていたのでした。この笛の名は小枝といいました。直実はこの出来事を契機に、仏門に入る意思をますます強くしたとのことです。
夜明けに城内で笛を奏でていた敦盛が、その日の午前中にはもう、討ち取られて屍を汀にさらす。
敦盛の短い人生は、そのまま平家のたどった運命を象徴しているかのようです。
そして、何よりも私たちが敦盛をいとおしまずにいられないのは、彼の散りぎわの美しさに深く魂を揺さぶられるからなのでしょう。
敦盛は卑怯呼ばわりされるのを潔しとせず、とってかえしました。さらには助けようという直実の好意をも武士らしく拒みます。そうして敦盛は武士として、男らしさと美しさの絶頂で花と散る運命を選んだのです。
八百余年の昔こんな少年が確かにいたことを、私はもっともっと多くの方、とりわけ敦盛と同じ歳頃の方々に知っていただきたいと思うのです。
敦盛を偲ぶ和歌や曲目、作品は数え切れないほどありますが、こちらでは、有名な「敦盛哀歌」をご紹介いたします。
須磨の浜辺に 波白く よせて返らぬ 十六の 花の命は 匂えども
俤あわれ 公達は 無官の大夫 敦盛ぞ ああ敦盛ぞ・・・