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「通盛いかになるとも、なんぢは命をすつべからず。いかにもしてながらへて、御ゆくゑをもたづね参らせよ」
-平通盛(たいらのみちもり)-


仁平三年生まれ。教盛の嫡男。従兄の重盛が越前守であった縁で後を襲い、越前守になります。治承三年に重盛が亡くなると、後白河上皇に罷免されますが、後に再任されると三位に叙せられ、越前三位と呼ばれます。平家物語では勇猛な弟の教経と比較され、軟弱なイメージをもたれがちですが、武将としても働き手でありました。 
 

清盛在世のころより、たびたび北陸に出征して義仲軍を阻みますが、寿永二年、ついに敗れて都へ戻ります。この年、一門と共に都落ちをし、その翌年には一の谷へ拠ります。義経勢を阻止するために背後の三草山を守りますが、不意の急襲により敗退。一の谷で本隊と合流し、平家の浜の手軍の副将となるも、武運つたなく落城してしまいます。敗勢のなかで奮戦し、源氏武将を何人も討ち取りますが、敗勢はどうすることもできず、重囲の中で討ち死にを遂げました。

それから数日後のこと・・・、通盛の北の方の御船を一人の侍が訪れました。
「殿は湊川の川下で、敵七騎に取り囲まれてお討たれになりました。甲の内側を射られ、敵に味方からおし隔てられ、弟の能登殿からも離れてしまわれたのです。そのうちに、敵に周りを固められ、近江の木村三郎成綱、武蔵の四郎資景と名乗るものが手を下して殿を打ち申しました。私も同じその場で討ち死にもし、最期のお供を致すべきでありましたけれども、前々から殿の言われますことには、『通盛が討ち死にをしても、決してお前は命を捨ててくれるな。なんとしても生き残って、北の方の行方を尋ね、通盛の最期を伝えるように』と言われましたので、甲斐のない命を存え、恥を顧みずここまで逃げて参ったのです。」

 

それを聞いた北の方は、返事をすることもできず、ただ、衣をひき被って突っ伏して涙を流されるばかりでした。ひょっとしたら、生きておられるのでは・・・という希望もすっかり弱ってしまい、湯水さえも喉を通らず、何日も床に臥していらっしゃいました。
 

そして、明日にも屋島に着こうかという深更のこと・・・、傍らの乳母に静かに語りはじめました。
「三位が討たれた、と聞いても本当のこととは思われなかったのに・・・。今日の夕方頃からは、そうに違いないと思うようになったのですよ・・・。誰もが通盛は討たれた、と言うけれども、その後に生きているのに出会ったという人は一人もいないのですもの・・・。」
 
北の方は、一の谷合戦前夜のことを思い出します。
鵯越を守る通盛は、弟教経の仮屋に北の方を召して、最後の別れを惜しみました。その日の通盛は、北の方の目にはいつもよりも心細げに映ります。
「明日の合戦には、きっと私は討たれるだろう。私が死んだ後、そなたが一人残されてどのように生きていくのかと思うと、耐えられない心地がするのだよ」
北の方には、そんな予感など全くありませんでしたので、通盛を力づけようと思って、自分が妊娠していることを通盛に打ち明けました。
それを聞いた通盛の喜びはひととおりではありませんでした。
「通盛は三十になるまで、子というものは無かったのに。ああ、男の子であればよいなあ。その子は、私の忘れ形見になるだろう。それで、何ヶ月ばかりになっているのか。気分はどうなのか。ああ、いつ終わるとも分からぬ波の上の住まいで、いざ、身二つになるときはどうしたらよかろう」
通盛はこまごまと、北の方の出産にも気を配るのでした。短い逢瀬、二人は互いを慈しみあいます。

 

しかし二人の最後の時間は、教経によって破られます。兄、通盛と北の方を教経はきつく諌めます。
「兄上! この方面は手ごわい相手だということでこの教経を向けられたのです。もう今にも山の上から源氏がせめてきたならば、武器を取ることさえもできませぬ!そのようにのんびりとしていられては、戦にはなんの役にもたちませぬぞ!」
通盛は急いで北の方を返し、自らも武具を身に着け、戦いに備えるのでした。
 
ああ、どうしてあの時、後の世でお会いしようと約束をしていなかったのだろう・・・。北の方はさらに続けます。


「女は出産の時に十に九つは必ず死ぬと言うから、お産のために恥ずかしい目にあって死ぬのも嫌なこと・・・。静かに身二つとなって、幼い子を育てて、亡き人の形見として育ててみたいとも思うけれど、かえって殿を恋しく思い、悲しさが積もることはあっても、決して慰められることはないでしょう。亡き殿がまどろむと夢に見え、目がさめると面影に浮かぶのです。これから先も、こうしてあの方を恋しいと思いつつ生き長らえるより、いっそ水底に入ろうかと思っているのです」
それを聞く乳母は、はらはらと涙を流しつつ、思いとどまるようかき口説きます。北の方は、さすがに乳母の心を思いやってか、
「今のは、うそ。ちょっと嘘を言っただけ。世間の世の恨めしさにつけても、身を投げようということはよくあること。もし身投げを思い立ったとしても、あなたに知らせないですることはしません。今日は夜も更けたことだから、さあ、もう休みましょう」
と言いました。乳母は、この四、五日湯水も取らない人がここまで言われるのは、本当に死を覚悟しているのだと悲しくて、
「十分に考えて死を決意されるのなら、私も御連れ下さい」
と申し上げました。

 

しかし、ちょっと乳母がうつらうつらしたうちに、北の方はそっと船端へ抜け出します。
まんまんと水をたたえた海上であるため、どちらが西であるかも分からないけれども、月の入るほうの山の端を西の空とも思われたのか、静かに念仏をされます。あたりには静寂に包まれ、かすかに沖の白州に鳴く千鳥の声、海峡を渡る船のかじの音だけが聞こえてきます。
「南無西方極楽浄土の教主、弥陀如来。本願あやまたず浄土へ導きたまえ。私たち夫婦を必ずおなじ蓮の上にお迎えください」
泣く泣くはるかにかきくどき、「南無」の声と共に海に沈んでいかれました。

 

一の谷から屋島へ渡る夜半のこと、船の中は静まり返って誰もこのことには気がつきませんでした。
ただ一人、寝ないでいた舵取りが北の方を見つけて、声を限りに叫び続けます。
「あれはなんとしたことか!あの御船から美しい女房がたった今、海にお入りになったぞ!」
 乳母の女房もこの声にはっと目覚め、あわてて傍を探したけれども北の方の姿はありません。
人々が大勢海に下りて、北の方を救い出そうと必死に探してはみたものの、ただでさえ霞む春の夜。しかもこの夜は四方から群雲が漂い、もぐってももぐっても、月が朧に霞んで北の方の姿を隠してしまうのでした。

 

それからかなり時がたち、船に助け上げることはできたものの、髪も袴も海水にぐっしょりと濡れ、もう手の施しようがありません。
乳母は北の方の手をしっかりと握り、北の方の顔に自分の顔を押し当て、悶え悲しみます。
しかし、一言の返事も無いまま・・・、わずかに通っていた息も絶え、とうとうこの世にない人となられたのでした。
やがて春の夜の月も西の空へと傾き、霞んでいる空も明け行きます。名残は尽きないといっても、いつまでもそうしてばかりはいられないので、ただ一領残っていた通盛の鎧を北の方に着せ、とうとう水底に沈めてしまいました。

 

水底で、いいえ、きっとお浄土の蓮の花の上で、通盛は北の方を優しく迎えたことでしょう。西海の旅の空、船の中、波の上の住まい・・・。片時も離れることの無かったこの夫婦は、とうとう同じ世界へと旅立っていったのでした。

 

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