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若一神社
若一神社のある西八条周辺は、清盛の別邸があったとされる場所です。
若一神社のご由緒によると、
「平清盛公、六波羅在住の頃、此の地は浅水の森と称し風光明媚なるところ、承安年中此の地に別邸造営在住す。西八条御所と唱り。」と、あります。
境内には今も清浄な神供水が湧出し、私たちも頂戴することができます。
実は、清盛が熱病の折にその身体を冷やしたのもこの神供水であったとか。
さて、清盛がこの地を選び、社を築いた理由も、ご由緒に記されています。
「仁安二年8月、熊野詣で給うとき、御告げあり、土中に隠れたる御神体、世に出だし奉斎せよ。
平清盛公、帰京の後、公が邸内探したる所、東方築山より夜光を放つ。清盛公歓喜して自ら3尺穿ち給えば土中より若一王子の御神体現る。
社を造りし鎮守し開運出世を祈り給えば、翌年仁安二年2月10日、太政大臣に任ぜられる」
若一神社は開運出世の神様として篤い信仰を集めているそうです。
神社入り口には清盛の像があります。
六波羅蜜寺の僧形とは異なり、若々しいお姿ですね。
神社手前には、清盛御手植えと伝えられる楠の大樹があります。
清盛の没後、西八条の邸宅は放火によって焼かれてしまいます。
平家都落ちの際にも、一門自らが屋敷に火を放ち、清盛の権勢を伝える邸宅は灰燼に帰すこととなってしまいました。



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