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安徳帝

平家物語のくだりにも見えるように、安徳帝の容姿は際立って優れておいでのようでした。

都をおちてからというもの、厳しい船上生活をおくられていたせいでしょうか。

安徳帝は実際の年齢よりも大人びてみえ、その性格も非常にしっかりとしておられたそうです。

その聡明なご様子から拝察するに、安徳帝は幼いながらに「帝」としての自分の微妙な立場は理解しておられたのかもしれませんね。


父高倉と、母建礼門院の面影をそのままとどめ、御髪はながくゆらゆらと美しく、帝がそこにいらっしゃるだけであたりも輝くほど、と伝えられますが、そのイメージのままの姿は現在残された絵画でも偲ぶことができます。

髪を肩までたらし、赤い衣を着て独楽遊びをする、愛らしい姿です。
 

多くの孫の中で最も清盛が愛したのも、この安徳帝でした。

安徳帝もまた、清盛には非常になついていたようです。

 

安徳帝が小鳥のような声をたてて笑うのを見ては、清盛は涙を流して喜び、抱き上げられた安徳帝がはしゃいで清盛の頭を小さな手ではたけば、清盛もその入道頭を差し出してはたかせる。

安徳帝は優しい祖父母と、母親に包まれて福原で過ごした時期が一番幸せだったのかもしれません。


しかし運命とは非情なもの・・・。

 

源氏の追撃から逃れるために一門とともに都を後にし、ついには西海へと花の玉体をお隠しになられたのでした。
 

安徳帝の美しさ、利発さは当時の公卿日記にも感嘆をもって記されているほどで、その優れた御性質のゆえに、よけいにいとおしく、また、その運命を痛ましく思います。


どうか・・・竜王の城でこの幼い帝が一門と共に幸せであってくれますように。

その場所がたくさんの光に満ちていますようにと祈らずにはおれません。

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