
厳島神社
清盛が安芸守に任じられたのは、29歳、久安2年のことでした。
以来、保元の乱での勝ち戦、家運の栄達、子孫繁栄があり、これらはひとえに厳島神社のご加護と帰依を深めていました。
実は清盛が荘厳を行う前は、厳島神社のご神体は島で最も高い山の頂上にありました。
拝殿はその下方の浜にあり、それは船小屋のような簡素なつくりにとどまっていました。
しかし清盛は自ら図面を引き、これまでの日本には無い、特異で壮麗な社に建て替えたのです。
桧皮葺の大屋根の他は全て目のさめるような朱色に塗られた荘厳華麗な本殿。
幾つもの客神社と、それらと本殿をつなぐ長い回廊。さらに能舞台に社務所。
これらは全て海上にあり、満潮の時は鏡のような水面に美しい影を落とします。
こうしたつくりになされたのは、厳島神社の祭神が海の女神であれば、海上に鎮座された方が山頂よりも御心が休まるだろうという清盛の考えによるものでした。

さらに目を引くのは、神社の前方に海に向かって立てられた大鳥居です。
高さ16メートル余り。棟の長さは23メートル。
この鳥居は海の神がそこをくぐって神殿に安座されるのを歓迎するための門ともいえます。
この建築に要した費用は現代の金額に換算すると、数億円は下らないとされています。
また、ここには一門の残したすばらしい宝物が残されています。
それは「平家納経」といわれる、法華経一具です。
長寛二年、一門の善福や武運に対する報恩を目的として、結縁者のそれぞれが法華経30巻に、般若心経と阿弥陀経を加えて一品ずつ書写する供養を行いました。
どれも繊細で優美な様式で、当時の一門の栄華が偲ばれます。
平家納経とともに注目すべき奉納写経としては、清盛と頼盛の合筆によるものが挙げられます。
巻首の50行分が清盛の自筆であることが巻末の奥書に記されているそうなのですが、この清盛の字というのが本当に美しいのです。
他にも重盛奉納の紺糸威の鎧や重衡の琴、宗盛の太刀など、平家とのかかわりの深さがうかがえるものが納められています。