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合戦の裏で暗躍するもの

私たちが現在一般的に目にする「平家物語」には、平家一門の興亡、とりわけその没落過程が鮮やかに描かれていますが、その一つ一つの出来事の裏側が語られることは、あまり無かったように思います。

しかし、いろいろな角度から光を当てて見ますと、とても興味深い存在が浮かび上がってくるものです。
 

そのひとつは、合戦の勝敗を大きく左右した、といっても過言ではないほどの働きを見せた乱破たちです。

「忍者」や「乱破」などといえば、源平の時代よりもっと後の世に活躍したように思われていますが、その存在は古く、第七代孝霊天皇の時代まで下ります。


平家勢においては、清盛の腹心の部下である与三兵衛景安が郎党、甲賀二郎鎌掛があまたの乱破を率いて、何度となく味方のピンチを救っています。

彼らは都や戦場において情報操作を行い、敵地にスパイとしてもぐりこみ、また、幻術を駆使して敵の乱破と戦うこともありました。実際、鎌掛は後白河の手のものや、源氏方の山本義経とも刃を交えています。

 

また、富士川の合戦における源氏方の乱破による工作は、闘わずして平家勢を敗走させるほどの効果をあげたほどです。

こうした乱破の活躍についての詳細は、いずれまた詳しくご紹介する予定です。
 

清盛はこうした郎党達やかまりを大いに信頼し、情報戦略を重視していたようですが、その子息達となると、彼らを煙たく感じ排斥したがるものが多かったといいます。

生まれながらの貴族である清盛の子息達と、数々の修羅場をくぐりぬけてきた清盛の郎党達とでは、戦に対する考え方が根本から違うのは無理もないことですが、両者の溝が平家の没落を早める原因の一つになってしまったのは残念なことです。
 

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